直す前に、一度ちゃんと見てみる
深夜、また同じバグを直そうとしていました。
自分で作った、小さな拡張機能の話です。私は Substack というところで文章を書いていて、もらったコメントにちゃんとお返事できるように、自分用の道具を作って使っています。誰に返したか、まだの人は誰か。それを見失わないための、ささやかな仕組みです。
ただ、これが前から同じところでつまずいていました。同じ人が二重に出たり、返信の中身が別の人とすり替わったり。出るたびに、その場でなんとか繕ってきました。今日もまた、その繕いをしようとしていたんです。
でも今日は、直す前に、ちょっとだけ立ち止まりました。
裏側を覗きに行ったら、最初からそこにあった

「そもそも、裏側で何が動いているんだろう」と、見てみることにしたんです。
そうしたら、ずっと「無い」と思い込んでいたものが、最初からそこにありました。私が、見ていなかっただけでした。
なぜ見ていなかったかというと、「どうせ無いはずだ」と、いつの間にか決めつけていたからです。誰かがそう言ったのか、自分でそう思い込んだのか、もう覚えていません。気づいたら前提になっていて、前提だから、確かめようとも思わなかった。
見ないから、ずっと「無い」ままでした。
「どうせ無い」と決めつけて、暮らしも回している

これは、開発の話だけじゃないなと思いました。
「どうせ無い」「たぶん無理」「きっとこうに決まっている」。確かめないまま、そう決めていることが、暮らしの中にも、けっこうあるんじゃないかなと思うんです。やってみる前から答えを出して、その前提のまま、なんとかやり過ごしている。私自身、ずっとそうやって、目の前のほつれを縫うのに必死でした。
裏のデータを「これが本当のところ」として作り直したら、別々の問題に見えていたものが、同じ一つの原因から、まとめて消えました。あんなに何度も直していたのは何だったんだろう、と拍子抜けするくらい、あっさりでした。
土台を見ずに、表面だけを何度も繕っていた。それが、今までの私のやり方でした。
急いでいるときほど、確かめずに手が動く

思えば、急いでいるときほど、確かめずに手が動いてしまいます。不安なときほど、「どうせこうだろう」と蓋をして、その前提のまま走り出してしまう。早く終わらせたい一心で、いちばん大事な「まず見る」を飛ばしてしまうんですね。
でも、その場しのぎは、たいてい長くはもちません。縫ったそばから別のところがほつれて、また縫って、を繰り返す。今日の私が何度も同じところを直していたのは、まさにそれでした。布が合っていないのに、糸を変え続けていたようなものです。
おもしろいのは、土台を入れ替えてしまえば、繕う作業そのものが要らなくなることです。問題を一つずつ潰すのではなく、問題が生まれる場所を変える。手間が増えるように見えて、結局はそのほうが早い、ということが、たまにあります。
私はもともと、立ち止まって誰かに相談するより、自分で抱えて手を動かしてしまうタイプです。それで助かってきた面もたくさんあるのですが、こういうときは裏目に出ます。確かめずに走り出して、ずいぶん経ってから遠回りに気づく。今日も、もっと早く裏を覗いていれば、と思いました。
直す前に、一度ちゃんと見る

直す前に、一度ちゃんと見る。決めつけない。
書いてしまえば当たり前のことですが、この「当たり前」を、私はずっと飛ばしていました。急いでいるとき、不安なときほど、人は確かめずに手を動かしてしまうのかもしれません。
「無い」と思っていたものを、もう一度だけ覗いてみる。そのくらいの余白を、これからは自分に残しておきたいなと思いました。たぶん、暮らしのいろんな場面でも、同じことが言えるような気がしています。

