「動かないからボタンを足そう」と思った私を、ユーザーが救ってくれた話
ある日、自分が作ったChrome拡張機能の動作がおかしいと、テスターから報告が来ました。
「リンクが反映されない」
私は、すぐに「更新ボタンを追加すればいい」と思いました。
押したらデータを取りに行く、わかりやすい解決策。
小一時間で実装して、テスターに渡しました。
それでも、動かなかった

「更新ボタンを押しても更新されない」
報告を受けた瞬間、頭が真っ白になりました。
ちゃんとボタンも動いているし、トーストメッセージも出ている。
それなのに、肝心のデータが反映されていない。
なんで?
「足す」のは安易

コードを読み直して、ようやく気づきました。
私は「動かない原因」をちゃんと見ずに、「動かないことから目を逸らすボタン」を作っていました。
押す → 何か起きる → 安心する。
そういう「儀式」を作っただけで、本当の問題は何も解決していなかったんです。
ボタンを足すのは、目に見える成果になります。
だから、つい誘惑される。
でも、目に見える成果が、本当に問題を解決しているとは限らない。
私は、そこに気づいていませんでした。
ユーザーからの一言

直し方を考えていたら、テスターからこんなメッセージが届きました。
「それなら、表示されない場合は公開リンクページを開いて同期、にした方が良くないかな?
小さく注釈みたいな。
更新ボタンは不要かな?」
ハッとしました。
そうだ。
ボタンって、本当に必要だったんだろうか。
小さな注釈一行で済む話を、私は大きなボタンで膨らませていただけかもしれない。
ボタンを消した

実装したばかりのファイル群を、全部削除しました。
書いたコードを消すのは、自分を否定するみたいで、ちょっとだけ痛かったです。
でも、消したあとのポップアップを見たら、前よりずっとシンプルで、ずっと美しかった。
「不要なものを消す」というのは、「正解に近づくこと」なのかもしれません。
引き算は、足し算より勇気がいる

何かを作るとき、人はつい「足す」方を選びます。
新機能、新ボタン、新オプション。
やっている感があるし、目に見える成果になる。
でも本当に大事なのは、足すべきものと足さなくていいもの、そして引くべきものを見極めること。
「これがあったら便利かも」じゃなくて、「これがないと困るか」を考える。
「便利」と「必要」は、似ているようでまったく違うものです。
ユーザーの声を、素直に聞く

私の中には、まだ「自分が作ったものは、自分が一番よく分かっている」という思い込みがあります。
ユーザーが「不要では?」と言っても、つい「いや、こういう理由で必要なんです」と説明したくなる。
でも、今日のことで思いました。
ユーザーは正直です。
使ってみて「いらない」と感じたら、いらない。
それ以上でもそれ以下でもない。
その正直さを、私は大事にしたい。
作る側のプライドより、使う側の素直な感想のほうが、ずっと信頼できるから。
完璧ではないものを、完璧に近づける手段

完璧なものを最初から作るのは無理です。
だから「作って、見せて、声を聞いて、直す」を繰り返します。
ユーザーの「これは不要では?」という問いかけは、その繰り返しの中で一番ありがたい瞬間かもしれません。
自分一人では絶対に気づけない盲点を、誰かが指摘してくれる。
そして、消す。
消したあとの軽やかさを味わう。
それが、たぶん「ものづくり」の本当の楽しさなんだろうな、と思います。
今日の小さな学び

- 「動かないからボタンを足そう」は、たいてい間違っている
- 本当の解決は、「なぜ動かないのか」を見ること
- ユーザーの「不要では?」は、最大級のギフト
- 引き算は、足し算より勇気がいる
- でも、引いたあとの景色は、必ずシンプルで美しい
明日も、何かを作って、何かを消すんだろうと思います。
そのたびに、ちょっとずつ素直になっていけたらいいな。

