「選択肢を増やす」の代わりに、「選ぶ必要をなくす」を選んだ夜
夜中の2時を過ぎていました。Mintor の投稿フォームを直していた途中で、書く欄のエディタを変えるかどうかの相談をしていました。
「自分で選べないの?」と聞いた

書く側の人から「最近の note や Substack のように書きづらい」という声がありました。
私が作っていたエディタは、## と打ったら見出しになる、というのを書き手が頭で覚えている前提のものでした。
エンジニアの人にはなじみのある書き方ですが、初めて投稿する人には記号にしか見えません。
「両方使えるように、設定で切り替えられたらいいのでは?」と私から相談しました。
書きやすいほうとソース表示のほう、どっちかを自分で選んで使えれば、自分の好きなほうで書ける、と思ったのです。
返ってきた答えが、思っていたのと違った

切り替え式じゃなくて、ひとつのエディタの中で両方の入り方ができるらしい、と返ってきました。
## と打つ人はそのまま打てる。
ボタンで「見出し」を押す人もそのまま使える。同じ場所で、別の入り方を選べる。
「設定で切り替える」よりエレガント、という言葉が添えられていました。
読んでみて、確かにそうだなと思いました。
「選ぶ」が増えると、迷いも増える

切り替え式にしていたら、書く前に「今日はどっちで書こう?」と決めなきゃいけません。
設定画面に行く手間も発生します。「どっちが自分に合っているか試してみよう」と思った人は、両方試して比較する必要も出てきます。
それは便利を装っていますが、実は手間を投稿者に渡しているだけだったかもしれません。
選択肢を増やすのは作る側にとっては安全策です。「どっちも使えますよ」と言えるからです。でも書く側の人は、その安全のために、毎回「選ぶ」というコストを払うことになります。
直すたびに、次の違和感が出てくる

エディタを差し替えたあと、自分で書いてみました。すぐに別の違和感が出てきました。
長く書いていると、「ここを引用にしたい」と思った場所からツールバーまでが遠いのです。
スクロールして上まで戻ってボタンを押して、また下まで戻る。
動きが多すぎて、書いている流れが切れます。
「ツールバーが画面に付いてくるようにしたい」「文章を選んだときに、その近くに小さいメニューが出るようにしたい」と頼みました。
両方やってもらいました。文章を選ぶと、選んだところのすぐ近くに、引用や太字や見出しのボタンが浮かぶようになりました。スクロールしなくていい。
書きやすさを直したら、その中の次の違和感が見える。これも、書く側になって初めて分かったことでした。
「APIエラー」って書いてあって怖かった

夜中のうちにもうひとつ、見過ごせない違和感がありました。
説明文を AI で生成しようとしたら、画面に英語で「Authentication error: API」と出ました。
中身は、ログインのセッションが切れていただけのことでした。再ログインすれば直ります。
でも書いてあった文字は、API、エラー、Authentication。
投稿者の手元に出てきていい言葉ではありませんでした。
「だったら、そう書いてほしい」と伝えました。「ログインが切れました。
もう一度ログインしてください」と日本語に直しました。
技術用語のまま読まされる側のことを、私は作る側にいるとつい忘れてしまいます。
書く側で触ってみて、初めて思い出せる距離があります。
「選ぶ」を減らしていく方向で直したい

この夜にやっていたのは、「選ぶ必要を減らす」という方向性で直すことだったのかもしれない、と書きながら気づきました。
エディタは切り替え式じゃなく、ひとつで両方の入り方ができるようにしました。
ツールバーは「上まで戻ってボタンを選ぶ」のをやめて、選んだ場所のそばに浮かぶようにしました。
エラーメッセージは「これ何?って調べる必要のある英語」をやめて、日本語のひとことに変えました。
どれも、投稿者が「選ばなきゃいけない場面」を消す方向の修正でした。
これからどうするか

「選ぶ」を減らすのは、単純に「選択肢を取り去る」のとは違います。
両方できる場所を作ったり、向こうから来てくれるように配置を変えたり、迷う前に伝わる言葉にしたり。
選んだ気づきもないくらい自然に進めるようにする方向です。
その方向で直していくと、毎回ひとつ直すたびに、次の違和感が見つかります。
今日もまだ直すところが見つかりそうです。
それでもいいかな、と思いながら、直すボタンを押して、また書く側に戻る、を続けようと思います。

