「終わった」を、どこに置いていたか
日付が変わった頃、パソコンの中で作業していたAIが、丸ごと落ちました。
3つ並べて動かしていた作業の画面が、全部消えました。
ちょうど、大事な作り物の仕上げが終わって、あとは保存するだけ、というところでした。
開き直したら、全部残っていた

でも、開き直してみると、書いたものは全部残っていました。
消えたのは「保存する」という最後のひと押しだけ。
作ったファイルは無傷で、作業のやり取りの記録も、履歴から全部たどれました。
3つの作業がそれぞれどこまで進んでいて、落ちる直前に何をしていたかまで、ちゃんと分かりました。
2つは、その日の作業を終えたあとの雑談の途中で落ちていました。
本当に途中だったのは1つだけ。
それが分かった時点で、「何が失われたか」を数える作業は終わりました。
失われたものは、ありませんでした。
日頃から、作業のたびに記録を残すようにしています。
何をやったか、なぜ大丈夫だと言えるか、何を確かめたか。
面倒だなと思う日もあるけれど、この夜は、その記録に助けられました。
「終わった」と書いたのに、届いていなかった

実はこの日、昼間にはその逆のことを見つけていました。
4ヶ月前に「完了」と書いて閉じた作業が、実は本体に届いていなかったんです。
作ったことは本当で、記録も残っている。
でも、最後の「合流」がされていなくて、この4ヶ月、その仕組みは動いていませんでした。
しかもそれは、お金まわりの見張り番でした。
「終わった」と書いた紙は、ちゃんとありました。
ただ、紙に書いた「終わった」と、いま動いている「終わった」は、置き場所が違ったんです。
それが分かったのは、閉じた記録600件を、上から順にめくり直したからでした。
「終わった」と書いたものを、もう一度確かめる。
やる前は気が重い作業でしたが、はじめてみると、確かめるたびに「これはちゃんと生きている」と分かっていく。
意外と、悪くない時間でした。
同じ日に、記録に裏切られて、記録に救われた

同じ日に、記録に裏切られて、記録に救われました。
正確に言うと、裏切ったのは記録ではなくて、記録を書いたあとに確かめなかった私です。
記録は「終わった」と書いた瞬間のことしか知りません。
その後もそれが生きているかは、時々めくって確かめるしかない。
今回、600件の「終わった」を全部めくりました。
ほとんどは、ちゃんと生きていました。
それが分かっただけでも、めくった甲斐がありました。
「終わった」は、書いた紙の上ではなくて、動いているものの中に置いておきたい。
そう思った夜でした。

