きれいにまとまった時ほど、もう一言だけ
夜、開発の続きをしていました。
わたしは非エンジニアなので、コードを実際に読むのは AI に頼みます。
その日は「もう使われていない古い部品を数える」という地味な作業を頼んでいました。
しばらくして、「二十いくつ、全部もう使われていません」という答えが返ってきました。
表もついていて、きれいにまとまっていました。
ここで「はい、おしまい」と言ってもよかったんです。
でも、なんとなく引っかかって、もう一言だけ聞きました。
「抜け漏れはないかな?」
深い意図はありませんでした。
ただ前に一度、締めたつもりで確認したら漏れが出たことがあって、その手触りが残っていただけです。
そうしたら、答えが変わりました。
調べ方に穴があって、見ていなかった部分があった、と。
数え直すと「全部もう使われていない」は言い過ぎで、本当に空っぽのものと、「配線は残っているけれど今はつながっていないだけ」のものが混ざっていました。
片づけていいものと、まだ触ってはいけないものが、ひとまとめにされていたんです。
まとまった結論ほど、見直す気が失せる

面白いなと思ったのは、きれいにまとまっていたからこそ、危なかったということです。
表が出てきて、それらしい言葉が並んでいると、もう一度確かめる気持ちがすっと引いていきます。
「ちゃんと調べてもらったし」と思って、そのまま受け取りたくなる。
散らかった答えなら疑うのに、整った答えは疑わない。
整っていることと、正しいことは、別なんですよね。
わたしにできるのは、コードを読むことではありません。
仕組みを説明されても、正直、半分しか分かりません。
それでも「終わったように見えるけど、抜け漏れはない?」と聞くことはできます。
それは技術の話ではなくて、確かめるかどうかの話だから。
たぶん、開発だけの話ではない

これは開発に限らないな、と思いました。
誰かがきれいにまとめてくれた時、報告書でも、予定でも、話の結論でも、整って見えると、それ以上は聞きにくくなります。
でも本当は、まとまった直後こそ、もう一言だけ確かめてみてもいいのかもしれません。
急かすためではなく、責めるためでもなく。
ただ「本当に?」と、もう一度だけ。
わたしは技術で貢献できるわけではないけれど、その一言なら言えます。
今日はそれで結論がひっくり返りました。
だから、これからも面倒くさがらずに、もう一言だけ聞く人でいたいなと思っています。

