Mintor は「救う場所」じゃなく「置ける場所」だった
自分のサービスのコピーを書き直していて、ふと気づいたことがある。
Claude が出してくれた文章に「不安をやさしくほどく」という表現があった。
きれいな日本語だ。
意味も通る。
でも、なんか違う。
「ほどく」って、Mintor がやることだろうか。
Mintor は、置き場所だ。
個人開発の作品を、ここに置く。
置いたら、誰かが見つけてくれるかもしれない。
コメントをくれるかもしれない。
応援の Mint を送ってくれるかもしれない。
その結果として、不安がほどけることはあるかもしれない。
でも、Mintor が能動的に「ほどく」わけじゃない。
動詞ひとつで世界観が変わる

「ほどく」と書くと、Mintor がカウンセラーみたいに見えてくる。
「助ける」「サポートする」「解決する」も同じ系統。
能動的に救う側。
でも Mintor は、もっと受動的だ。
「置ける」「シェアできる」「届く」「見守られる」「集まる」。
何かが起きるのを待つ場所。
何かを起こす場所じゃない。
動詞ひとつで、世界観が変わる。
「ほどく」より「置ける」

結局、コピーはこう書き換えた。
「個人開発の初めての作品を置ける場所」
「ほどく」より、ずっと Mintor らしい。
ハードルも低い。
「置く」だけならできそうな気がする。
「ほどく」「解決する」だと、ユーザー側に「ほどかれる準備」「解決できる課題」が必要に感じてしまう。
「置く」なら、何の準備もいらない。
「推し」という言葉の温度

同じ日に、もうひとつ気づいたことがある。
Mintor には、応援する人向けのページがある。
https://mintor.dev/ja/supporter
そこにある「推し」「推し活」って言葉を残すか、Claude に聞かれた。
私の答えは、即決だった。
推しって言葉が好きなんだよね。
広く応援するより、推しを見つけて応援する方がハマる。
応援と推しは、深さが違うというか。
応援は、誰にでもできる。
一回限りでもいい。
推しは、もう少し深い。
継続して見守る。
応援するだけじゃなく、心が乗っている。
だから、応援したい人を探している人向けのページでは「推し」を使う。
でも、つくる人や経験者向けのページでは使わない。
彼らに「あなたの推しを探そう」と言うのは、ちょっと違う。
ターゲットによって、語彙の温度を変える。
これも一つの哲学だ。
自分のサービスの言葉を、自分で決める

Claude は優秀だ。
文章を整える力は、私よりずっと高い。
でも、「これは Mintor らしい」「これは違う」を最終判断するのは、私だ。
Claude は Drafter、私は Editor。
役割が分かれていれば、お互いに楽だ。
Claude は遠慮なく案を投げてくれる。
私は遠慮なく「これは違う」と言える。
「ほどく」を「置ける」に直したのも、「推し」を残すと決めたのも、私の判断だ。
サービスの言葉は、つくった本人にしか決められない。
まだ続きがある

今日のセッションは、まだ途中だ。
料金カードのデザインを直したい。
投稿上限の死んだコードを消したい。
Notion ガイドの中身ももう一回見直したい。
でも、それは次回でいい。
今日の気づきは、「ほどく」じゃなく「置ける」。
それで十分だ。
ここからは後半セッション

「ほどく」じゃなく「置ける」に直した翌日(実際は同じ日の夜だけど)、また Mintor のコピーを書いていた。
今度は、「コミュニティ」という言葉。
最初は完全に消す方針だった。
「人がいる前提」「Mintor の現状(人がいない)と矛盾」と思っていた。
実際、3 ターゲット LP からは徹底的に消した。
フッターの「Mintor Community」という装飾も「Join Mintor」に変えた。
ふと、TOP の文章を見て止まった。
「個人開発を、まるごと応援するコミュニティです」
これを「作品置き場です」に直そうとして、引っかかった。
ただの「置き場」じゃ人は集まらない

「作品置き場」だけだと、何か足りない。
人が集まる理由が、見えない。
中ではコメントが交わされたり、相談サービスで経験が共有されたり、Mint で感謝が回ったりする。
それは、コミュニティだ。
完全に削除したら、運用ガイドラインの根拠も消える。
荒らしが来たとき、「コミュニティガイドライン違反」として強力に追い出すことができなくなる。
「コミュニティ」という言葉自体が、Mintor を守る盾だった。
両立軸

書き直したコピーはこう。
「個人開発を、まるごと応援する作品置き場兼コミュニティです」
「作品置き場」と「コミュニティ」を、対立じゃなく両立で書く。
「兼」でつなぐ。
作品置き場が主軸、コミュニティが補助軸。
どっちか一方じゃない。
両方大事。
単語と文脈は別

今回の気づきは、削除し過ぎても良くないということ。
「コミュニティ」を完全に消すと、Mintor の運用上の盾が消える。
でも、「コミュニティから○○届く」みたいな過剰表現は、現状と矛盾するから残しちゃいけない。
単語と文脈は別。
単語自体は OK でも、それを使った特定の表現は NG。
ルールは「単語禁止」じゃなく「過剰表現禁止」が正しい。
memory のルールも、その通りに書き直した。
哲学は私の中にしかない

今日学んだのは、これだ。
言葉は、道具。
どの言葉を使うかは、機械的なルールじゃない。
「ただの作品置き場」じゃ人が集まらないと感じるか、感じないか。
それはサービスを作っている人の哲学次第。
私には「人が集まる場所であってほしい」気持ちと「ひとりでも楽しめる場所であってほしい」気持ちが、両方ある。
だから、両立軸でしか書けない。
「ほどく」を「置ける」に変えたのも、「コミュニティ」を残すと決めたのも、私の判断。
Claude は優秀だ。
文章を整える力は、私よりずっと高い。
でも、「Mintor らしいか」を判断するのは、私だ。
哲学は、私の中にしかない。
それでも、まだまだ続きがある

今日も終わらない。
TOP の他の「コミュニティ」という言葉も、復活させるか検討しないと。
共通機能の「コミュニティ」関連も、別 Issue にした。
en.json の英訳更新もある。
push して本番反映もまだ。
でも、今日の気づきは、これで十分。
「ただの作品置き場じゃ人は集まらない」。
明日また、考える。

