自動化・AI開発

道具は配っていい、でも集めたものは配らない、と決めた夜

Kanae

夜中に、小さな道具をひとつ作っていました。

Substackというところにライブ配信があって、視聴している人たちがチャットでコメントを流します。
その流れていくコメントを、あとで見返せるように手元に残したい。
それだけの、ささやかな道具です。

きっかけは「配信のコメントを取りたい」というひと言だったのですが、これがうまく伝わらなくて、最初はまったく別のものができあがってきました。
私が「配信」と言ったのを、相手は「記事についたコメント」と受け取っていたんです。

理屈の上では、間違っていなかったのだと思います。
ただ、私がほしかったのはそれではありませんでした。

言い直して、作り直して。
途中でちょうど知り合いの配信がやっていたので、それを見ながら、コメントが画面にどう出てくるのかを一緒にのぞいて、ようやくかたちになりました。

自分が見ていないものは、取れない

自分が見ていないものは、取れない

作っている途中で、ひとつ気づいたことがあります。

自分が配信に入る前に流れていたコメントは、取れないんです。
チャットを上にさかのぼってみても、入る前の分は出てきません。
これは道具の限界というより、もともとそういう仕組みなのでした。

自分に見えていないものは、道具にも見えない。

当たり前のことなのに、やってみて初めて、すとんと納得しました。
最初から残しておきたいなら、始まる時にその場にいるしかない。
あとから「あの時のあれ、取っておけばよかった」と思っても、もう流れていったあとなんです。

なんだか、暮らしの中のいろんなことと似ているな、と思いました。

他の人の言葉を、どう扱うか

他の人の言葉を、どう扱うか

もうひとつ、この道具には引っかかる点がありました。

自分が配信主でなくても、見ているライブのコメントが手元に残ります。
つまり、他の人の発言も一緒に残るということです。
それを、外に出していいのだろうか。

少し調べて、相談して、自分の中で線を引きました。

道具そのものは、人に渡してもいい。
でも、集めたコメントは外に出さない。

道具を配るのは、たとえばレシピを教えるようなものです。
中身をどう使うかは、使う人それぞれ。
けれど、集めた誰かの言葉を勝手にどこかへ持ち出すのは、それとは別の話だと思いました。
自分が見たものを、自分のために見返す。
そこで止めておく。

線を引いたら、迷いがなくなりました。
便利さと、人の言葉への敬意。
そのあいだのどこに自分の手を置くか、を決めただけのことなのですが、決めると気持ちが軽くなるものですね。

遠回りの先に

遠回りの先に

「配信のコメントを取りたい」という短いひと言が、こんなに食い違うとは思っていませんでした。

でも、勘違いから始まって、配信を見ながら作り直して、最後に自分なりの線まで引けました。
遠回りはしましたが、ちゃんと自分のほしかったものになった気がします。

道具を作るというのは、機能を足していくことだと思っていました。
でも実際にやってみると、「どこで止めるか」「何を残して何を残さないか」を決めることのほうが、ずっと自分らしさが出るのかもしれません。

夜が更けて、手元には小さな道具がひとつ。
誰に見せるでもなく、自分が見たものを、自分のために残すだけの道具です。
それくらいの距離感が、今の私にはちょうどいいのだと思いました。

ABOUT ME
かなえ
かなえ
個人開発を応援する非エンジニア
婚約破棄をきっかけに、29歳で未婚の母になると決めました。
不安と向き合いながら、10年かけて働き方を少しずつ作り変えてきた40代です。

AppSheetやGASを独学で覚え、いまはAIを使った個人開発を毎日続けています。
個人開発を応援する非エンジニアとして、等身大の試行錯誤や、子育て・自立・副業のことを、正直に記録しています。
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