AIに任せようとしたら、自分の手で書きたいものが見えました
YouTube動画の台本を、AIに書かせてみました。
ローカルでAIが動く環境がせっかく整ったので、試したくなったのです。
月額の課金もない、ネットも要らない、自分のPCの中で動くAI。
期待していました。
「もしうまくいけば、台本を書く時間が減るな」と。
試した結果

待つこと13分。
AIが書いた台本が返ってきました。
フォーマットはちゃんと守られていました。
動画用のスライド構造、ナレーションの段落分け、メタ情報。
「あ、書けてる」と最初は思いました。
でも、自分が書いた台本と並べて読んでみたとき、引っかかりました。
私が書いた方には、こういう箇所がありました。
「2025年6月のハッカソン」「Discordの使い方を覚えるところから始まった」「Cursor、v0、Bolt、Replit、Readdy.aiを片っ端から試した」。
AIが書いた方には、それがありません。
「圧倒的なアウトプット量への刺激」「成功体験が世界へ引き込んでくれた」。
きれいな日本語ではあるんです。
でも、誰が書いても同じ内容になる、一般論でした。
そりゃそうかと、思いました。
AIは私が2025年6月にハッカソンに参加したことを知りません。
Discordで何があったかも、どのツールを試したかも、知りようがありません。
動画の価値ってここなのかも

それで、改めて考えました。
私がYouTube動画を作って発信する意味って、結局、自分の実体験を自分の言葉で届けることなんだな、と。
一般論なら、AIに聞けば出てきます。
検索しても出てきます。
それを動画にして見せる意味は、薄いです。
私の経験、私が選んだ言葉、私が感じたこと。
そこに価値があるんだと思います。
AIは、そこには入ってこられないんです。
これは、当たり前のように見えて、最近忘れがちなことかもしれません。
「AIに何でも任せられる」と聞くと、つい全部任せたくなります。
私もそう思いかけました。
でも実際に試してみないと、任せられるところと、任せられないところの境目は見えません。
今回の検証は、その境目を1本引くためのものでした。
でもAIが得意なところもあって

ただ、今回の試行で見えてきたのは、AIが「向かない領域」だけじゃありませんでした。
AIには得意な領域があります。
たとえばタイトル案を10個出してもらうこと。
概要欄のテンプレートを整えること。
チャプターの見出しを視聴者に届きやすい言葉に直すこと。
これらは「実体験」が要りません。
「候補を出してもらう→自分が選ぶ」の役割分担にぴったり合うんです。
「全部AIに任せる」と「全部自分でやる」の間に、ちゃんと線が引けることが分かりました。
これからどうする

YouTube動画の台本は、これからも私の手で書きます。
AIに任せたいと思って試したけど、任せられないと分かったので、覚悟を持って自分で書きます。
代わりに、タイトル案や概要欄のテンプレ作りはAIに任せられそうです。
気が向いたときに、別の仕組みを作って試すつもりです。
タイトル案を10個出してもらえれば、その中から1つ選ぶだけで動画タイトルが決まります。
今は毎回考えるのに時間がかかっていることが、選ぶだけで済むかもしれません。
そういう「ちょっと面倒だけど大事ではない作業」を、AIに任せたい。
動画の中身そのものは、これからも私が組み立てます。
「向かない」と決めつけて捨てるんじゃなくて、「この用途には合わなかった」と置いて、別の場所で活かす。
そういう線引きが、今日できました。
検証で試したファイルは、消さずに残してあります。
気が変わったときに、すぐ再現できるように。
AIと付き合うって、たぶんこういうことなんだろうなと思います。

