「これは触らない」と約束してくれることが、信頼の正体
深夜、自作の動画エディタで、長く取り組んできたタスクのまとまりを「完了」にしようとしていました。
字幕の色を変える、オープニングの大きさを縦動画用に整える、複数 BGM 設定のときに警告を出す。
3 つの小さな機能を片付けたあと、もうこのまとまりは全部終わったよね、という状態になりました。
「閉じてもいい?」と AI に聞こうとして、その手前でふと、確認したくなりました。
「これって、もともと別ツール(Google Slides)で作ったスライドが書き換わるわけじゃないよね?」
返ってきた答えは、表でした。
書き換えたのは私のエディタの中の表示・出力設定だけ。
元の Google Slides は無傷。
manifest と呼ばれる設定ファイルが書き換わるだけで、Google Slides を開けば何も変わっていない。
その確認、すごく大事でした。
「触らないと約束してくれる」がツールへの信頼の正体

もし、私が動画エディタで何かを編集したとき、知らないうちに Google Slides の元データが書き換わっていたら。
それは怖いんです。
「あれ、私が触ってないのに変わってる」が 1 回でもあると、毎回触る前に「これ触って大丈夫かな」と確認するようになります。
確認のたびに集中が切れて、作業が遅くなる。
道具に対する信頼って、何かを「変えてくれる」ことから生まれるんじゃなくて、「変えないと約束してくれる」ことから生まれるんだなと、その確認の瞬間に思いました。
「これは変える」「これは変えない」をはっきりさせる。
私が触る場所と、私が触らない場所を、明確に分ける。
それだけで、毎日の使い心地が違ってきます。
暮らしの中の「触らないと約束する」

書きながら、これは暮らしでもそうだなと思いました。
家族と一緒に暮らしていて、お互いの持ち物のうち「触ってはいけないもの」を明示できているかどうか。
子どもの机の上にある、子どもが大事にしているもの。
これは触らない、と決めて、触らないことを実行する。
それだけで、家の中の信頼が保てます。
逆に、「いいかな」と思って一度触ってしまうと、その人は「もしかしたら今日も誰かに触られてるかも」という不安を抱え続けます。
1 回の侵略が、毎日の安心を削る。
「触らないと約束する」って、関係性の基本だなと思います。
タスクを閉じるとき、スコープを言葉にする

確認が済んで、AI が親タスクを閉じてくれました。
そのときに、「何を扱って、何を扱わなかったか」を Issue のコメントに残してくれました。
「youtube-studio 内で完結する『動画レンダリング用の表示/出力設定』の編集。
元 GAS スライドには触らない。
GAS 再エクスポートは別フェーズで対応予定」と。
これ、地味に重要でした。
数ヶ月後の私が「Phase 3 って何だったっけ」と振り返ったとき、Issue のタイトルだけだと「スライド編集」しか分からない。
でも close コメントを読めば、「あ、ここまでが Phase 3。
GAS 再エクスポートは別フェーズだった」と思い出せる。
家族との合意でも同じです。
「これは私がやる」「これは家族がやる」を口頭で言うだけだと、後で「あれ、これは誰がやるんだっけ」になる。
書き残しておくと、後から見て分かる。
タスクを終わらせるときに、何を扱って何を扱わなかったかを言葉にして残す。
これ、暮らしの中にも持ち込みたい習慣です。
「軽い機能を 3 つ」が示す段階

ところで、この夜の機能 3 つは、本当にあっという間に終わりました。
字幕色の変更、オープニングのレイアウト調整、MP3 警告。
それぞれ、既存の似た機能をコピーして、ちょっと改造して、終わり。
道具を作り始めた最初の頃は、機能 1 つに 1 日かかったこともありました。
今は数十分で終わるものもあります。
これは、型が固まってきたということなんだなと思います。
最初の 1 つを丁寧に作っておけば、2 つ目以降は楽になる。
フォントサイズの編集 UI を作ったら、字幕色の編集 UI はそれをコピーするだけ。
1 つの機能の動画フォーマット対応をやっておけば、別の機能でも同じやり方が使える。
これも、暮らしと一緒です。
最初の朝の身支度のリズムを丁寧に作っておけば、毎日のルーティンが楽になる。
最初の家事の動線を整えておけば、毎日の片付けが軽くなる。
「最初の 1 つを丁寧に」が、後の自分を楽にする。
道具を作りながら、何度も同じことを思いました。
明日からの自分も、丁寧に作っていきたいです。

