直して、直して、ようやく自分が触れるものになる
頭の中で「こうあるべき」を組み立てているうちは、何かを完璧に近づけているような気がします。
でも実際にそれを触ってみた瞬間に、たくさんの「あ、違う」が現れる。
その日の私は、自分が作った投稿フォームを、自分で使ってみていました。
直す回数は覚えていない

どこをどう直したか、気がつけば 8 回ぐらい往復していたと思います。
URL の入力欄のラベルを変える。
リンクの場所を変える。
画像の位置を一番上にしたら違和感があって、すぐに戻す。
説明の前にアピールがあるのは順番が逆だ、と気づいて入れ替える。
テンプレートを最初から入れておくと、書き換えずにそのまま公開してしまう人がいる、と知って、入れない方針に切り替える。
ひとつ直すたびに、何か別の違和感が見つかります。
直す前は気づかなかったものが、直した後で初めて見える。
だから何回直してもいいと思いました。
触ってみる前は、何が違うのか分からない

頭の中だけで考えていた時は、ぜんぶ「合理的」に見えていました。
順番は「タイトル → 分類 → 説明 → 画像」で論理的に並べていたし、ラベルも英語混じりで「正確」だった。
でも自分の指でフォームに触れた時、論理は感覚に負けます。
「タイトルも入れていないのに、なんで画像から始めるんだろう」と手が止まる。
「URL Slug ってなに?」と一瞬考える。
リンクの欄が折りたたまれているのを見落として「あれ、Web アプリの URL はどこに入れるんだろう?」と探す。
頭の中で正解を作っていた私は、現場で何度も間違えました。
「これでいい」までの距離
ものを作っている時、「これでいい」と納得するまでにかかる時間は、設計だけ見ているとずっと短く感じます。
実際に使い始めると、その何倍かの時間が必要になる。
これは、人間関係でも、暮らしの選び方でも、たぶん似ていると思います。
離れたところから見ているうちは「こうあるべき」がたくさんあって、近づくとそれが揺らぐ。
揺らいでも、揺らぎを引き受けたまま、もう一度形を整えていく。
自分の手で投稿した

その夜、ようやく自分のプロダクトを 2 つ、自分のフォームから投稿しました。
前は触りたくないと思っていた画面が、ようやく自分の手に馴染んでいた。
完璧じゃないけれど、自分が「これでいい」と思える状態に近づいた。
たぶん、また誰かが触ったら新しい違和感が出てくる。
それでもまた直せばいいな、と思っています。
何回直してもいい、と自分に許せるようになると、ものを作るのが少し怖くなくなります。

