自分のサービスが「自分だらけ」になっていた話
夜、自分が作っているサービスの記事一覧を、ひとりの利用者として開いてみました。
新しい順に並んだ記事の、上の方を見ます。
私の記事、私の記事、また私の記事。
気づけば、画面の上半分が自分でした。
作った本人なのに、これはちょっと、と思いました。

よく書く人が、前に出てしまう
私は、開発の記録をよく書きます。
だから新しい順に並べても、目立つ順に並べても、たいてい自分が前に来てしまうのです。
自分のサービスで、自分の記事が並ぶ。
それ自体は悪いことではないのかもしれません。
でも、新しく何かを始めた人が来たときに、上から下まで私の名前ばかりだったら、その人はどう感じるだろう、と思いました。
「ここは、この人の場所なんだな」
そう思わせてしまう気がしたのです。
私が作りたかったのは、そういう場所ではありませんでした。

「最初のタブを変えればいい」では足りなかった
最初は、開いたときに表示されるタブを変えれば済む話だと思っていました。
注目の記事か、新着の記事を最初に出せばいい、と。
でも、よく調べてみると、もっと奥に理由がありました。
一覧そのものが、書いた本人を後ろに回す仕組みになっていなかったのです。
だから、どのタブを開いても、結局よく書く私が前に来てしまう。
表面のボタンを変えても、根っこは変わりませんでした。
そこで思い出したのが、「新しく書き始めた人」だけが並ぶタブでした。
投稿の少ない人に絞られる仕組みなので、たくさん書いている私は、そもそもそこには出てきません。
だったら、開いた瞬間に、そのタブを見せればいいんじゃないか。
そう思いました。

開いたら、知らない誰かが最初に見える
直したあと、もう一度開いてみました。
最初に出てきたのは、私ではありませんでした。
最近書き始めた、別の誰かの記事です。
私の名前は、ずっと下の方に下がりました。
不思議なもので、自分が後ろに下がった画面を見て、ほっとしました。
これでよかった、と思えたのです。
同じころ、各ページの横に「新着」を出す小さなカードも作っていました。
そこでも、汎用のアイコンではなく、その人が作ったものの写真と、作った人の顔が出るようにしました。
自分の投稿がそこにあったら、ちょっと嬉しい。
その嬉しさは、きっと他の人の嬉しさでもあります。
前に出るのは、自分じゃなくていい。
誰かが「あ、私のだ」と思える場所であればいい。
作りながら、自分の中でそういう軸がはっきりしてきました。

目立つことより、見える場所にしたい
自分のサービスだから、自分を一番目立つところに置くこともできます。
でも、そうはしたくありませんでした。
目立ちたいわけではなくて、新しく始めた人が、ちゃんと見える場所にしたい。
自分を後ろに回すのは、損をしている感じではなくて、たぶんそっちの方が、私には気持ちがいいのです。
ひとりで作っていると、画面の中は自分の都合でいくらでも埋められます。
よく書く人が前に出るのも、放っておけば起きる自然な結果です。
だからこそ、わざわざ自分を一段下げる仕組みを入れておかないと、気づかないうちに自分で埋まってしまう。
それに気づけたのは、作り手ではなく、利用者の側に立って自分の画面を開いてみたからでした。
作る目だけで見ていたら、きっと「自分の記録が並んでいて便利だな」で終わっていた気がします。
見える場所を誰かに譲るのは、最初は少しだけ勇気がいります。
自分が作ったものなのに、という気持ちも、正直どこかにあります。
それでも、譲ったあとの画面を見ると、不思議と安心するのです。
自分が全部を占めていない方が、その場所はちゃんと続いていく気がします。
これは、サービスの中だけの話ではないのかもしれません。
日々の暮らしの中でも、自分が前に出るより、誰かの居場所をひとつ空けておく方が、結局おだやかでいられる気がします。
完璧に直せたわけではありません。
色のルールが揃っていなかったり、まだ宿題として残していることもあります。
それでも、自分の手で触って「あれ、これ自分だらけだな」と気づけたことが、今日の小さな前進でした。
明日もきっと、自分のサービスを開いて、どこかで「うーん」とつまずくのだと思います。
そのたびに、自分を少し後ろに下げる練習をしていくのかもしれません。
そんなふうに思った夜でした。

