片付けには順序がある、ということ

今日、道具の片付けをしました。
と言っても、物理的な道具ではなくて、パソコンの中の情報のほうです。
でも不思議なくらい、台所の片付けや押し入れの整理と同じ感覚でした。
片付けは、順番を間違えるとうまくいきません。
それが今日、はっきりと分かった日でした。
仕事で使う道具の使い方を、いつも忘れるんです。
「これをやるときは、あのファイルを開いて、あのフォルダを見て、あの順番で作業する」。
そういう一連の流れがあるんですけど、毎回忘れます。
先週も同じことを調べました。
今週もまた調べています。
そのたびに、ほんの少しだけ疲れていました。
今日、ついに「もう嫌だ」と思って、どこに何があるのかを全部調べることにしたんです。
じっくり、ていねいに。
気持ちは、大掃除を始めるときの気分に近かったかもしれません。
調べてみたら、驚きました。
同じ情報が、あちこちに散らばっていたんです。
同じ手順書が3つのファイルにあって、どれも内容が少しずつ違う。
「どれが本物?」と聞かれても、すぐには答えられませんでした。
これ、押し入れを開けたときの「あれ、同じようなタオル、3箇所にある」と同じです。
夏用のタオル、冬用のタオル、お客様用のタオル。
どれも似ている。
どこに何があるのか、自分でも把握できていない。
散らかるって、こういうことなんですね。
いつもの私なら、ここでいきなり片付け始めるところです。
「これはいらない」「これは捨てる」「これはこっちに移そう」と、勢いで動かしてしまう。
でも今日は、少し立ち止まりました。
動かす前に、「どこに置くのが正解なのか」を決めていない。
そう気づいたんです。
置き場所を決めずに動かしたら、またすぐに散らかります。
「タオルはここ」と場所を決めてから、初めて分別できる。
決めないまま動かすと、また同じことを繰り返す。
片付けには順序があるんだな、と思いました。
私は、3つのステップに分けました。
1. まず、どこに何があるか全部調べる
2. 次に、何をどこに置くか「住所録」を作る
3. 最後に、実際に物を動かす
順番は厳格に守りました。
特に2番目の「住所録を作る」は、いつもの私ならすっ飛ばすところです。
「そんなの頭の中にあるから大丈夫」と思って、いきなり動かしてしまう。
でも、頭の中にしかない住所録は、明日には消えます。
明日の私は、今日の私より賢いわけじゃないから、また迷うんです。
だから今日は、紙に書き出すように、住所録を文字で残しました。
「読み方辞書はここ」「手順書はここ」「進捗管理はここ」と、1つずつ場所を決めて書いていきました。
住所録ができあがったとき、肩の力が抜けました。
明日から同じ作業をするとき、私はもう迷わないんです。
「あれどこだっけ」と探し回る時間が、ゼロになる。
見るべきものがはっきりしているから、すぐに作業に入れる。
決めるって、自由になることなんですね。
縛られるイメージがあったけれど、むしろ逆でした。
決めたからこそ、毎回迷わなくていい。
決めたからこそ、次の作業に集中できる。
これって、暮らしにも通じているなと思いました。
私の台所には、「ここにこれがある」という場所が決まっています。
お茶碗は棚の一番下、箸は引き出しの一番手前、包丁は流しの右側。
これを決めたのは、同居していた頃じゃなく、一人暮らしを始めてからでした。
一人になって、自分で全部決めていいと分かったとき、初めて「私専用の住所録」を作ったと思います。
道具に慣れるって、そういうことなのかもしれません。
もう一つ、今日気づいたことがあります。
私は、「片付け」と「捨てる」を同じだと思っていました。
整理=減らす、というイメージです。
でも今日やった作業では、捨てるより前に「正の場所を決める」がありました。
捨てるのは、住所録に載っていないものです。
住所録に載っているものは、たとえ重複していても、まずは全部1箇所に集める。
それから「じゃあどれを残す?」を決めます。
順序が大事でした。
捨ててから整理すると、大事なものまで捨ててしまうかもしれない。
整理してから捨てると、捨てる前に「これは要る?」と自分に問い直せる。
家の片付けも、きっと同じなんだろうなと思いました。
クローゼットを開けて、いきなり「これは捨てる」と分別し始めると、判断が雑になります。
「とりあえず全部出して、並べて、住所録を作ってから、要るものと要らないものを分ける」が正解なのかもしれません。
面倒くさく聞こえるけれど、実は近道です。
勢いで片付けると、また1ヶ月後に同じことを繰り返すことになる。
時間をかけて住所録を作ると、それが1年、3年、5年と効いてきます。
今日の作業は、夕方には終わっていました。
作業場が、スッキリしていました。
必要なものだけが、決まった場所にある。
使わないものは、もう見えない場所にしまわれている。
明日の私は、今日の私のおかげでラクができる。
そう思うと、なんだか少しだけうれしくなりました。
片付けって、未来の自分への手紙みたいなものなのかもしれません。
今日は、その手紙を書く日でした。
翌朝の、ちいさな事件

この原稿を書いた次の日の朝、作業を始める前にパソコンの状態を確認したら、黄色い文字で「コミットされていない変更があります」と表示されていました。
昨日、いちばん時間をかけて作った住所録の表。
あれが、記録として残されていなかったんです。
手元のファイルには、ちゃんと残っていました。
でも、「昨日の作業を保存する」という最後のひと手間が抜けていたんです。
幸い、何も失われていませんでした。
ファイルはそのまま。
パソコンも電源を切っていなかった。
ただ、記録として残す最後の一歩を、私は踏み忘れていたんです。
でも、それが少し怖かった。
もし昨日の夜、何かの拍子にファイルを閉じてしまっていたら。
もし今日が別のパソコンを使う日だったら。
「あれ、昨日の表はどこ行った?」と探して、見つからなくて、もう一度作り直していたかもしれません。
片付けは、「やったこと」だけじゃ完結しないんだな、と思いました。
やったことを「残す」までが、片付けの一部。
整えた姿を「残す」というのは、写真を撮ることかもしれないし、ラベルを貼ることかもしれません。
方法は何でもいい。
でも、自分以外の誰か(未来の自分を含めて)が後から参照できるようにしておくこと。
それが「残す」ということ。
今朝、小さな画面の中の黄色い文字を見ながら、私は少しだけ焦って、少しだけ笑いました。
昨日の整理は、私のなかでは完璧に終わっていたつもりだった。
でも実はまだ途中だった。
最後の一歩を踏んでいなかった。
未来の自分に手紙を書いたのに、封筒に入れたまま出していなかった。
そんな気分です。
今日、ようやくその手紙をポストに入れました。
昨日、「片付けは、次の自分が迷わないようにすること」と書きました。
でも今日、もうひとつ付け足したくなりました。
次の自分が迷わないようにするには、今日の自分がちゃんと「残す」までやること。
やっただけでは足りなくて、残さないといけない。
これは暮らしのどんな場面にも効きそうな言葉だなと思いました。

