自動化・AI開発

壁の裏を開けたら、使っていない配線が出てきた

Kanae

先日、自分のアプリの不具合を一つ直そうとして、壁の裏を開けるようなことになりました。

一つのつもりが、同じ壊れ方をした場所が、二十個以上も出てきたのです。
見つけた瞬間は、正直こわかったです。
こんなに壊れていたのか、と。

でも、順番に直して、一つずつ実際に動かしてみて、こわさは少しずつ薄れていきました。
直した場所の多くは、今はもう誰も通らない場所だったのです。
昔つくりかけて、途中で作りが変わって、置き去りになっていた配線。
壊れて赤く光ってはいたけれど、その線の先には、もう誰もいませんでした。

壊れて見えるものと、本当に困っているもの

壊れて見えるものと、本当に困っているもの

不思議だったのは、形だけを見ていたときは、どれも同じように「壊れている」に見えたことです。

赤く光っているものは、全部おなじくらい危なく見えます。
でも、実際に動かしてみると、そこではっきり分かれました。
人が通る配線と、誰も通らない配線。
困っている人がいる壊れ方と、困っている人が一人もいない壊れ方。

見た目の警告の強さと、本当の困りごとの大きさは、別ものでした。

これは、暮らしの中でもよくあることかもしれません。
目に飛び込んでくる「大変そうなこと」と、本当に手をつけないといけないことは、必ずしも同じではない。
声の大きいものほど急ぎに見えるけれど、開けてみたら中は空っぽ、ということもあるのだと思います。

「たぶん大丈夫」を、言わないでおく

「たぶん大丈夫」を、言わないでおく

直し終わったあと、「実害はありませんでした」と言えました。

でもその一言を言えたのは、実際に動かして、本番のデータを見てからです。
もし動かさずに「たぶん大丈夫でしょう」と言っていたら、それはただの願いごとでした。
願いごとと、確かめたこと。
同じ「大丈夫」でも、重さがまるで違います。

わたしは、確かめる前に安心させる言葉を、あまり言いたくありません。
相手を安心させたい気持ちは分かるのですが、確かめていない安心は、あとで裏切ることがあるからです。

開けて、動かして、それでやっと「ここは空でした」と言える。

見るだけでは、分からない

見るだけでは、分からない

今回いちばん残ったのは、これでした。

外から眺めているだけでは、その線の先に人がいるのか、誰もいないのかは分かりません。
形は教えてくれない。
動かしてみて、初めて分かる。

掃除も、少し似ている気がします。
棚をぱっと見て「きれい」と思っても、奥に手を入れてみたら、使っていないものが束で出てくることがあります。
逆に、散らかって見えても、全部ちゃんと使っているものだった、ということもある。
見た目と中身は、開けてみるまで一致しないのです。

何もない島で、子どもと二人で暮らしています。
ものは少ないほうだと思っていました。
それでも、いざ手を入れてみると、いつのまにか使わなくなったものが出てきます。
作ったものも、暮らしも、たぶん同じで、ときどき壁の裏を開けてみないと、何が眠っているか分からないのだと思います。

片づけは、こわくなかった

片づけは、こわくなかった

出てきた配線は、今は使っていないものでした。
だから急いで直す必要は、本当はなかったのかもしれません。

それでも直しておいたのは、いつかその線をちゃんと繋ぐ日が来たとき、壊れたままだと困るからです。
今日の作業は、火を消すというより、いつかのための片づけでした。

壁の裏を開けるのは、最初はこわいです。
何が出てくるか分からないから。
でも開けて、動かして、確かめてしまえば、こわさは「あぁ、ここは空だったのか」に変わります。

見ないでこわがっているより、開けてみたほうが、ずっと静かな気持ちになれる。
そんなことを思った一日でした。

ABOUT ME
かなえ
かなえ
個人開発を応援する非エンジニア
婚約破棄をきっかけに、29歳で未婚の母になると決めました。
不安と向き合いながら、10年かけて働き方を少しずつ作り変えてきた40代です。

AppSheetやGASを独学で覚え、いまはAIを使った個人開発を毎日続けています。
個人開発を応援する非エンジニアとして、等身大の試行錯誤や、子育て・自立・副業のことを、正直に記録しています。
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