消えたと思っても、たいてい残っている
深夜1時すぎ、画面の中の作業部屋が、ふたつ同時に閉じました。
AIに手伝ってもらいながら開発をしていて、その夜は作業を2つ並行で進めていました。
片方はデータの入れ物の変更、もう片方はコードの整理。
どちらも真っ最中に、ツールごと落ちたんです。
「クラッシュしちゃった!」
新しい画面を開いて、そう打ち込むところから復旧が始まりました。
日記が残っていた
まず調べてもらったのは、作業の痕跡でした。
保存されたままのファイルが19本。
送信前の作業が4つ。
それから、AIに書かせている「作業日記」が、落ちる直前の時刻まで残っていました。
何をやろうとして、何に気づいて、どこで迷ったか。
この日記は、私が指示しなくても節目ごとに書く決まりにしてあります。
書きすぎなくらいでちょうどいい、と決めてあるんです。
この夜は、この日記が地図になりました。
痕跡と日記を突き合わせて、消えたと思った作業がひとつずつ復元されていきました。
データの変更は「実行する直前」で止まっていたことがわかり、確かめてから実行。
コードの整理も、検証を通してから確定。
夜のうちに全部が元通り、むしろ前より進んだ状態になりました。
「絶対途中だったもん」
ひとつだけ、引っかかっていたことがあります。
AIは「作業は完成していました。
消えたのは記録だけです」と言いました。
でも私の感覚では、あれは絶対に途中でした。
作業していた本人の体感って、意外としつこく残るものなんです。
証拠はありません。
調べた結果は全部「完成」を示している。
それでも「絶対途中だったもん」と食い下がったら、AIが自分の会話記録そのものを読みに行きました。
落ちたセッションの、最後の発言まで。
最後の言葉は「裏取りします」でした。
つまり、確認作業の途中で落ちていたんです。
私の記憶のほうが正しかった。
消えたのは、報告だけだった
じゃあなぜ作業は完成していたのか。
AIの作業班は、ファイルへの書き込みを進めながら仕事をします。
だから途中で落ちても、書いたものは残る。
消えるのは「終わりました」という報告と、そのあとの確認だけ。
作業は完成していて、仕事は途中だった。
両方とも本当でした。
この構図、機械に限らない気がします。
誰かの仕事が「途中で止まった」ように見える時、実際に消えているのは成果そのものじゃなくて、報告や引き継ぎのほうだったりする。
残っているものを探す前に「全部消えた」と決めてしまうのは、もったいない。
記録は、未来の自分への仕送り
今回助けられたのは、ぜんぶ「その時は面倒に思える記録」でした。
節目ごとの作業日記。
こまめな保存。
何をどこまでやったかのメモ。
どれも、順調な時には読み返すこともないものです。
でも何かが起きた夜には、それだけが頼りになりました。
消えたと思っても、たいてい残っている。
ただ、どこに残るかを知っていること、そして残るように暮らしておくことは、自分で選べるんですよね。
深夜3時、全部の復旧を確かめてから、そんなことを考えていました。

