数え直したら、増えていました
自作サービスの古いコードを、片付けることにした日でした。
作業メモには、こう書いてありました。
「同じ記述のコピペが6箇所」。
いざ着手して、全部数え直してみたら、9箇所ありました。
動き続けるものの前で、メモは過信になる

数え間違えたわけではないんです。
メモを書いたのは、少し前のこと。
その間も、コードは動いていて、手が入り続けていました。
メモの中の6は、あの時点では正しかったのかもしれない。
でも、いま目の前のコードにあるのは9でした。
「前に数えたから、もう知ってる」
そう思っていたものが、動き続けるものの前では、過信になる。
当たり前のようでいて、実際に数が合わなかった瞬間まで、私はそれを分かっていませんでした。
だからこの日は、直し方も変えました。
9箇所を一気に直してしまいたくなるところを、3回に分けて。
1回直すごとに、ちゃんと動くことを確かめてから、次へ進む。
「さっき動いたから大丈夫」ではなく、「いま動くか」をその都度見る。
数え直しと同じことを、直す作業の中でも繰り返した形です。
届かなかったことを、届かなかったまま記す

もうひとつ、この日に残したものがあります。
片付けの目標は「500行以下」でした。
結果は、889行。
届きませんでした。
以前の私なら、「だいたい終わった」と書いていたかもしれません。
でもこの日は、届かなかったことを届かなかったまま、記録に残しました。
できたことにしない。
次にその記録を開く人は、たいてい未来の自分で、その人が読みたいのは願望ではなく数字だからです。
6が9になっていた経験をした直後だったのも、大きかったと思います。
記録は、書いた瞬間から古くなっていく。
だったらせめて、書く瞬間だけは正確でありたいんです。
画面を見たひと言が、いちばん近かった

面白かったのは、作業の終盤でした。
画面に通知が出ない、という話になったとき、「もしかして、上のバーの下に隠れてる?」という素朴なひと言が、いちばんいい線を突いていました。
難しそうな原因をいくつも並べるより、画面をそのまま見たひと言のほうが、正解の近くにいたんです。
これも、数え直すことと同じなのかもしれません。
「知っているはず」をいったん置いて、いま目の前にあるものを、そのまま見る。
「前に数えたから」を、手放す

これは、コードだけの話ではない気がしています。
部屋の片付けでも、「あそこには何があるはず」という記憶のまま暮らしていて、開けてみたら違った、ということがあります。
人との関係でも、「あの人はこういう人」と前に数えた印象のまま接してしまうことが、たぶんあります。
相手も自分も、動き続けているのに。
「前に数えたから」をいったん手放して、数え直す。
増えていたら増えていたと認めて、届かなかったら届かなかったと書く。
地味な作業です。
でも、この日いちばん役に立ったのは、この地味さでした。
次に古いメモを開くときも、まず数え直すところから始めようと思います。

