使ってもらわないと、わからない
朝にデプロイしたアプリを、夜、娘がタブレットで触ってくれました。
出かける前に必死でデプロイしたのは、このためだったはずなのに、いざ触ってもらうと、想像していない反応が次々に返ってきました。
想像の中の娘と、本物の娘は違う

私の中にいた娘は、AIに話しかけて、楽しそうに英語で返事をして、「楽しい!」と笑う姿でした。
でも、本物の娘は黙ってしまったんです。
AIが全部の音を拾ってしまうから、うっかり「うーん」と言っただけで返事が来る。
それが嫌で、黙る方が楽だと感じたようでした。
画面を見つめて「無音!?」と言っている娘の顔は、想像とは違いました。
思考ログが画面に流れていくのも「意味わからん」と言っていました。
私はその機能が面白くて、ずっとONにしていたのに。
わからないものを渡していた

一番こたえたのは、娘に「これなんて言ってるの?」と聞かれたとき、私にもわからなかったことです。
AIが話す英語を、親の私も聞き取れない。
日本語で聞き直せば答えてくれるけど、ひと手間かかります。
会話のリズムは切れてしまう。
娘は親に聞けばわかると思っている。
でも、親にもわからない。
そのことに、少し焦りました。
「わからないものを、娘に渡していたんだな」と思いました。
その日のうちに直した

帰宅してから、娘の言葉をひとつずつノートに書き出しました。
全部で6つありました。
全部やろうと決めました。
今日中に無理でも、できるところから。
まずは日本語訳をチャットに併記すること。
これは今日のうちにやりたかった。
AIが英語で話したら、その下に小さく日本語訳が出る。
それだけで、娘は「これなんて言ってるの?」を自分で解決できるようになります。
思考ログはデフォルトをOFFにしました。
大人が見て面白いものと、子どもが見て心地いいものは違う。
3時間くらいで実装して、もう一度デプロイしました。
頭の中だけで作らない

ここまでずっと、自分の頭の中で「娘はこう使うだろう」と想像しながら作ってきました。
でも、頭の中の娘は、私の延長でしかなかったんです。
私が平気なものは平気、私が面白いものは面白い、そういう前提で作っていました。
本物の娘に触ってもらって初めて、自分の前提がどこで外れているかが見えました。
6つのフィードバックは、全部、私ひとりでは気づけなかったことです。
明日また渡す

明日、もう一度タブレットを渡してみます。
渡す前は少し緊張します。
「また黙ってしまうかも」「また意味わからんって言われるかも」と。
でもその緊張ごと、渡してみないとわからないんですよね。
相手がいるから直せる

ひとりで作っていたら、たぶんこの6つのフィードバックは永遠に出てこなかったと思います。
自分の頭の中で自問自答しても、出てくるのは結局自分の発想の範囲内でした。
娘がいて、触ってくれて、率直に「無音!」と言ってくれる。
だから直せる場所がわかる。
渡せる相手がいるから、直せる。
そんな当たり前のことを、改めて思いました。
以前は「完成してから見せたい」と思っていました。
完璧じゃないものを渡すのが怖かったからです。
でも、完璧になるまで待っていたら、いつまでも渡せないし、いつまでも気づけないんですよね。
今度は日本語訳が出る。
思考ログは最初から出ていない。
AIは「わからないときは日本語で聞いてね」と最初に言ってくれる。
それでもまた、想像していないフィードバックが返ってくると思います。
それでいいんです。
頭の中で完璧に作ろうとするより、渡して、聞いて、直す。
この繰り返しの方が、本当に欲しいものに近づける気がしています。
作ったものを渡せる相手がいることは、ありがたいことだなと思いました。
小さく渡して、小さく直す

ソフトウェアの開発って、「完成」という終点があるようで、実はないのかもしれません。
渡して、触ってもらって、気づいて、直して、また渡す。
その繰り返しです。
娘のフィードバックを全部直した後も、また別の「想定外」が出てくるはずです。
でも、それが楽しみでもあります。
自分の想像を超えていく感覚。
頭の中だけでは絶対に到達できない場所に、娘の一言が連れて行ってくれる。
小さく渡して、小さく直す。
そのサイクルを、これからも大事にしていきたいなと思っています。

