自動化・AI開発

使われていないものを、手放した日

Kanae

自分の作ったアプリの中から、もう誰も通らなくなったコードをまとめて消した日がありました。

機能を足すのではなく、減らす作業です。
動いている部分はそのまま、誰からも呼ばれていない部分だけを取り除いていく。
全部で十数個のファイルが消えました。

作業そのものは淡々としていたのですが、途中で何度も手が止まりました。
「消しすぎていないだろうか」という不安が、ずっと隣にいたからです。

とっておく癖

とっておく癖

わたしには、「いつか使うかもしれない」でとっておく癖があります。

コードもそうでした。
使わなくなった画面も、もう呼ばれていない処理も、「消すのは怖いから、とりあえず残しておく」。
そうやって残したものが積み重なって、あとから見たときに「これは生きているの?死んでいるの?」が分からなくなっていく。

今回消したのは、まさにそういう「とりあえず残していた」ものたちでした。
作った当時は意味があったけれど、作りを変えていくうちに、別の経路が本線になって、古い方は誰も通らなくなっていた。
残っているのに、使われていない。

家の引き出しにも、似たものがある気がします。

消す前に、確かめられること

消す前に、確かめられること

それでも踏み切れたのは、確かめられることがあったからでした。

ひとつは、消したあとにアプリ全体を組み立て直してみると、もしその部分がどこかで必要とされていたら、ちゃんとエラーで止まること。
止まらずに組み上がったなら、それは「もう誰も必要としていなかった」という意味になります。
勘ではなく、結果で確かめられる。

もうひとつは、ひとつ消すごとに記録を分けて残しておけば、あとで「やっぱり要った」と気づいても、その一手だけ元に戻せること。
消したものは、消えてなくなるわけではありませんでした。

この2つが分かってから、不安が「確かめれば戻せる不安」に変わりました。
戻せると分かっていると、手放す勇気が出る
これは、ものを手放すときと同じだなと思いました。

残すことが、やさしさとは限らない

残すことが、やさしさとは限らない

不安なまま「念のため残す」を続けていると、一見やさしい判断に見えます。
何も壊さないし、誰も困らない。

でも残ったものは、次に見た人(多くの場合、未来の自分)に「これは何だろう」と考えさせます。
生きているのか死んでいるのか、毎回確かめさせる。
とっておくことが、後の自分への負担になっていく。

今回、消したのはどれも、ユーザーの画面には出ていなかった部分でした。
消しても、アプリの見え方は何も変わりませんでした。
誰も使っていなかったものを手放しただけ。
それなのに、終わってみると中はずいぶん見通しがよくなっていました。

「消しすぎていないか」と何度も確かめながら進めた夜でしたが、確かめられる安心があれば、手放すことは怖くないのかもしれません。
とっておく癖のあるわたしには、少しだけ練習になった気がしています。

ABOUT ME
かなえ
かなえ
個人開発を応援する非エンジニア
婚約破棄をきっかけに、29歳で未婚の母になると決めました。
不安と向き合いながら、10年かけて働き方を少しずつ作り変えてきた40代です。

AppSheetやGASを独学で覚え、いまはAIを使った個人開発を毎日続けています。
個人開発を応援する非エンジニアとして、等身大の試行錯誤や、子育て・自立・副業のことを、正直に記録しています。
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