ぜんぶひとつにまとめなくていい
夕方、新しい動画ツールに、自分のアプリのプロモーション動画を作ってもらっていました。
「動画を HTML で書ける時代になっている」と教えてもらって、面白そうだから触ってみたんです。
最初は順調でした。
5 秒の Hello World 動画が出てきて、8 秒のオープニング動画が出てきて、それなりに動くものができていました。
修正が止まらない

調子に乗って、自分の作っている petapeta というアプリのプロモーション動画を作りはじめました。
そこからが、長かったです。
「タイトルが下に寄ってる」「ロゴサイズが変わるのが嫌」「ここを少し下げて」
スクリーンショットを撮って、テキストで指示を出して、AI に動画を作り直してもらう。
それを 9 回、繰り返しました。
5 回目を超えたあたりで、ふと、思いました。
これ、なんでこんなに大変なんだろう。
自分が作っているツールの存在意義

私は自分の YouTube 動画を作るために、自作の動画編集ツールを組んでいます。
スライドを並べて、ナレーションを当てて、字幕を編集して、BGM を入れる。
Phase 4 まで作って、24 個以上の機能を実装してきました。
なんでこれを作っているのか、自分でもうまく言えませんでした。
世の中には Filmora や CapCut のような動画編集ソフトがあります。
なのに、なんでわざわざ自分で作っているんだろう、と。
別のツールで動画を作ろうとして、答えがやっと見えました。
「テキストで指示する」と「GUI で直接動かす」のあいだには、思っていた以上に深い溝がある。
動画は、微調整の塊です。
1 秒の動きを「もう少し」「もうちょっと」と詰めていく作業に、テキストは向いていない。
GUI なら 1 秒で終わることが、テキストの指示だと 5 ターン、10 ターンとかかってしまう。
自分が作っているツールには、ちゃんと意味があった。
別のツールを触ってみて、それが見えました。
「統一しなきゃ」をやめてみる

最初は、新しいツールに乗り換えたほうがいいのかな、と思いました。
技術的には新しいし、ライセンスも完全無料だし、何より、自分が作りはじめたときには、このツールはまだ世の中になかったんです。
「もし最初から知っていたら、こっちを選んでいたかもしれない」と思いました。
でも、書き換える必要はないという結論になりました。
動画には、用途があります。
私の YouTube チャンネルで使う「ナレーション付きの解説動画」は、スライドが主役です。
これは自作のツールが向いています。
たくさんの中身を流し込んでテンプレートで量産する動画は、新しいツールが向いています。
1 本だけ気合いを入れて作るプロモーション動画は、Filmora のような既存の GUI が向いています。
ぜんぶ自作ツールに押し込まなくていい。
ぜんぶ新しいツールに統一しなくていい。
用途別に道具を持つ。
それで十分だったんです。
道具ごとに、得意がある

これは動画ツールだけの話じゃない気がしています。
「ぜんぶ一つにまとめなきゃ」「シンプルに統一しなきゃ」という気持ちは、知らないあいだに自分の中にあったんだと思います。
仕事でも、暮らしでも、なんとなく「散らかっている状態は良くない」「一つにまとめた方が美しい」みたいな価値観に、ふんわり影響されている自分がいました。
でも、道具ごとに得意な領域があるなら、用途別に持ち続けるのも合理的な判断なんですよね。
「いつか統一しなきゃ」と思わなくていい。
統一が必要になったら、そのときに考えればいい。
自分の選んでいる道は、間違ってなかった

朝、ベッドのカーテンを開けて海を見るのが習慣です。
徒歩 30 歩で海に出られる島で、子どもとふたりで暮らしています。
島には、大きなショッピングモールはないし、洒落たカフェも少ないです。
「ないもの」を数えれば、いくらでもあります。
でも、ここには、ここで成り立つ暮らしがあります。
道具を一つに統一する必要がないように、暮らしも一つの正解に揃える必要はないんだと思います。
何を持って、何を持たないか。
何を一つにまとめて、何を分けて持つか。
それは、その人の暮らしと、その人の用途に合わせて、選んでいけばいい。
私が作っているツールには、ちゃんと意味があった。
別のツールを触ってみて、それが見えた。
自分の選んでいる道は、間違ってなかったんです。

