「決まってること」を、一度は疑ってみる
諦めを書いたメモを、自分で上書きした日

VTuberアバターの開発をしています。
1枚のイラストを口パクさせる仕組みを、毎日少しずつ直しているところです。
昨日までの私は、あるメモにこう書いていました。
「これは手法の構造的な限界だから、もう打つ手がない」
そう書いて、次の対策を考える回路を自分で閉じていました。
今日、同じコードをもう一度見直してみたら、原因は設定値ひとつだけでした。
0.45を0.6に書き換えたら解決しました。
拍子抜けするくらいあっさりと。
「決まってること」は、本当に決まってる?

プログラミングに限らず、暮らしの中には「これはこういうものだから」と諦めていることがたくさんあります。
「この時間じゃないと片付けられない」
「この方法じゃないとうまくいかない」
「この性格だからしょうがない」
そういうひとつひとつが、本当に「構造」なのか、単に「いつもの設定」なのかは、実は見分けがつきにくいのかもしれません。
触ってみないと、それが変えられるのか変えられないのか分からない。
でも「決まってること」と思い込んでいると、触ろうとすら思わなくなります。
数字を疑うということ

コードの中に書いてある数字は、誰かが「とりあえずこのくらいかな」と置いた値です。
それがずっと生き残っているだけ。
初期値が永遠に正解というわけではありません。
「最初に決めたやり方」が今の私に合っているとは限りません。
一度決めたら変えない、と思っていたものが、意外とそうでもなかったりします。
今日の発見は、コードの数字を書き換えることだけじゃなくて、「自分が勝手に決めつけていた境界線」を一本、引き直した出来事でした。
諦める前に、もう一回だけ

「もう無理」と思ったとき、それが本当に構造の問題なのか、単に初期値のせいなのか。
答えはだいたい、もう一度見てみれば分かります。
見てみるのには勇気も時間も要らない。
ただ「もう一回だけ」と自分に言うだけ。
今日の私は、昨日の私が書いた諦めのメモを、自分で上書きできました。
次の「もう無理」も、たぶん同じやり方で越えていけます。
構造を疑う前に、数字を疑う。
それだけでずいぶん前に進める日があります。

