気づかないまま壊れていたものを直す日
自分が作ったサービスの、ある機能が壊れていた。
気づいたのは、自分自身が初めてその機能を「使う側」で操作した日でした。
数ヶ月前にリリースしたあと、私はその機能を作り手のままで眺めていました。
動くものができたあと、開発の関心は次の作業に移ります。動いているかどうかをコードと数字で確認することはあっても、「贈る側の自分」として実際にボタンを押してみることはほとんどなかった、と気づきました。
押した瞬間にエラーが返ってきた時、後ろめたさのような感覚がありました。
作ったままにしておいたのは、私だったから。
使う側に立って、初めて気づいた壊れ

これは仕事や暮らしでも同じだと感じます。
引き継ぎが終わった仕組み、誰かが残してくれたツール、毎月走らせていた定型作業。
動いていることを前提にしているうちは、止まったことに気づけない。
誰かが触る瞬間まで、不具合は静かに眠っています。
「使われない機能はサイレントに壊れる」というのは、エンジニア界隈でよく言われる事実です。
でも私はこれを、もう少し広い意味で持って帰りたいと思いました。
使わない筋肉が衰えるのと同じで、使われない仕組みは、検査されない時間が長くなるほど、わからない間に劣化していきます。
サービスでも、人間関係でも、自分の暮らしの中の小さなルーティンでも。
使われない仕組みは、静かに壊れる

私の場合、壊れていたのは「応援を贈る」機能でした。
直すのに、5 段階の修正が必要でした。
順番に出てくるエラーを 1 つずつ潰すあいだ、何度も「これで終わりかな」と思っては、また次が出てくる。
4 回目を直した時には、もうこれが終わりなのか半信半疑でした。
最終的には 5 つ目を直した瞬間に、ちゃんと贈れました。
5 つ直して、ようやく届いた

直し終わって、初めて誰かに 10 ポイントの応援を贈りました。
3 文字のメッセージを添えて、ボタンを押しました。
壊れていたものが動くと、こんなにちゃんと嬉しいんだなと思いました。
暮らしの中の「気づかないまま」も

「気づかないまま」というのが、いちばん怖い言葉だと最近よく思います。
壊れたまま、消耗したまま、走らせたまま。
私は前職で、気づかないまま自分を消耗させ続けた経験があります。
仕組みなら直せばいい。コードを書けば、エラーが消えて、また動きます。
でも、自分自身の中で何かが壊れた時、気づかずに何ヶ月も放置すると、5 つの migration で直る、というわけにはいきません。
5 ヶ月眠っていたサービスのバグを直しながら、自分の生活の中で、似たような「気づかないまま」がないかを、ぼんやり考えていました。
直せるうちに直しておきたい、と思った日でした。

